最後には話が変わっている日記

今日は昼過ぎに目が覚めた。昨日に夜更かしをしすぎたせいだ。帰宅が遅いのもあるが最近は日記を書いたりブログをしたり筋トレをしたりしていて、いろいろしすぎて生活習慣が乱れている。

これはどうにかしなければならないとおもうが、この生活に慣れるまで次の仕事に慣れるまではたぶん追い込まれた生活が続くだろう。つらい。

そういえば今日の午後に次の仕事場職場Bと言っておこう、職場Bから電話があった。

二日続けて電話をかけ続けた甲斐があった。次の出勤を聞かされて以前にかかってきた採用の電話は夢ではないを知れて大満足だ。

しかし職場Bへの不信感はまだぬぐい切れてはいない。

今日友人と遊ぶついでに覗きに行ったが、イケメンやら、美人やらが働いていた。

ブスな私はそれだけでいじめられないだろうかと気が気ではない。

コミュ力もない顔もよくない、体も中途半端にごつい。どうしようもない。

ただ、電話で話したお姉さんはすごくいい人そうだった。それだけを頼りに、私は頑張っていこうと思う。

かなりネガティブすぎると思うかもしれないが、これぐらいがいいのだ。

あまり期待しすぎると働き始めた時の絶望が増えるから。

私は思ったことと少しでも違うとすぐ絶望してしまうので期待せずに予想外に嬉しかったことで日々乗り越えている節がある。

なので期待しすぎるのはよくない。ちなみに言っておくが絶望しすぎるのもよくない。

楽しいとわかっていることにはぜひ期待していくことをお勧めします。

さあ仕事は私のできる限りやるとして、今日は午後から友人と会ってきた。

知っての通り私は片手で数えられるくらいしか友人と呼べる相手がいない。

その中で和える距離にいるのは三人だけだ。なので友人と会える日は私にとっては特別な日なのだ。

友人と三時間もないくらいの時間であったがご飯を食べながら雑談をした。

話の中で知ったことはお互いに父親には悩まされているということ。

友人だがあまり身内の話はしない。話をすることによって暗い気分にさせてしまうということがわかっているから。

だけど今日は父親の話になって私の父について話した。

私の父はうつ病もちでかなり精神的に不安定な人間だった。夢と現実の区別もつかないようになっていたこともあった。

そんな父から逃げたくて一人暮らしをした。一人暮らしは「自由」この一言に尽きる。すべてではないが。友人と私は父に悩まされている共通点があった。

私は父とは絶対連絡を取らないということを言うと驚いた顔をしていた。

友人は優しいのでたぶん縁を切るなどできないだろう。でもいつか友人も悪い縁を切っていい縁を繋げていけることを祈っている。

自分にも祈る。神様お願いします。

今、神様と打つのを間違えたからこの願いは叶わないかもしれない。努力は人を変えると信じている。叶わなかっても努力で何とかしよう。努力ができる人間ではないが私は努力という言葉が好きだ。努力は裏切ると思っている人が居るかもしれないが、それは努力の仕方が間違っているか、努力のしすぎか、判断する人と縁がなかったということだと思う。

 

例として努力してスポーツ大会に出たが結果が出なかった。それは体が成長していないのではなくて、大会に向けての体の調整がうまくいかなかっただけ。

 

そんな感じだと思う。運動で努力して結果が出なかったとしても体は成長している。

あとは調整の問題なのだ。

 

試験で点数が取れなかったとしてもその人の持つ知識がその試験とは相性が悪いだけで、知識自体はその人の経験として身についているはずだ。

結果が出なかったら意味がないとなるかもしれないが、確かに価値観もある。

人の数だけ価値があって考え方がある。正解なんてあるのだろうか。

と持論を唱えてからいつも考える。そんな一日だ。